ここ10年くらいだろうか、特にスマホが普及しだしてから、ネット上で「すごい人」を見かけることが多くなった気がします。私が言う「すごい人」とは主にプログラミングやガシェット系のブログをやっている人なんですが、昼間は普通に仕事をし家庭も持ち、残りの時間でデザインが良く情報量も多いブログやサイトを運営して利益を得ているような人たちのことを指します。
今回はそんな「すごい人」たちと自分のしょぼさについて思うところを書いてみます。まとまりのない文章過ぎて読むに堪えないかもしれませんが。
ネット上にはすごい人がたくさんいる
当たり前の話なのですが、才能がある人、努力ができる人、継続して何かに打ち込める人など、結果を残すことができる人は世の中には一定数いまして、ネットが一般的になる以前はそれの尺度(成功の尺度)は、大企業に勤めるとか、すごい資格を持っているとか、テレビや新聞などメディアに取り上げられるとか、国際的な大会や場でよい成績を収めるとか、そういった相対的な機会しかなくて、ほんの一握りの人が多くの富と名声を手にしていた印象です。
でも今は違います。ネット界隈、特にブログというものは、運の要素が少なくて実力がある人は確実に評価を得ることができる媒体と言えます。えーそんなことないだろ、自分のブログがバズるかなんて完全に運じゃないか、そう思っている人がいるのなら、考えを改めたほうが良いと思います。
実力(行動力と発信力)さえあれば、以前は求められた社交力とか当日の運とか、そういったものは一切関係がなく、成功を納めることができる弱肉強食の世界がネット、特にブログの世界です。
ある分野の知識や経験があり、それをまとめてきちんと発信をすることができるのなら、確実にアクセス数という評価を得ることができ、アクセス数は本人にその気さえあればお金に換えることが可能なんです。
まさに2極化、貧富の差
じゃあ実際にこの10年で、身の回りにすごい人は増えているのかといったらそういう実感はありません。まさに隠れていたすごい人がネット上でどんどん発掘されている印象です。
ネット上、特にブログで成功している人は、実生活でもそこそこの企業に勤めていて、高い専門性を有していて、そのことについてブログで発信をしている。実生活でもネット上でもうまくいっているというのが実際のところ。
きちんと知識を積み上げて継続できる人はどんどん富を蓄積していきます。逆にそれができない人はその場にとどまることしかできません。その差は広がる一方です。
そして、その成功をつかむために以前は必要だった学歴も今は必要ありません。高学歴な人ほど成功する可能性は高くなるとは思いますが(挫折をせずに継続する力があるから)、どんなに学校で勉強ができなかった人でも、何か大好きなことがあって、それを整理して発信する労力を惜しまなければ、成功は可能です。
「すごい人」がたくさん出現したことによって特に広告分野で、富の分配の流れが大きく変わって、以前は一部のマスコミに集まっていたお金が、一般層にまで広く流れ込んできています。それを手にするにはいかにアクセス数を伸ばすかがカギになります。
見なければ比較しない
そんなネット上のすごい人たちを見て、私はしばしば凹みます。はてなブックマーク等で雑多な記事をブラブラ見ていると、すごい個人がわんさか私の目に触れしまいます。
学校や職場といったところは、毎日淡々と変化なく流れて行って、そこに大きな起伏は存在しませんが、ネットを見ていると日々すごい才能の持ち主が表れて、私は自身と比べて凹んでしまうのです。
ちなみに、発信をしている側の人は、その分野に夢中になっていて発信をしているだけで、ほかのブログや動画はあまり見ないと言われています。彼らはそういった意味で完全にクリエイターで作る側。電車の中でひたすらスマホを見ているような利用者に向けてただ毎日コンテンツを作っているんです。
作る側になるためには、見る側にならなければ良いだけなんです。とても簡単です。そして自分が好きなことをとことん追求して、それをまとめて発信すれば結果は付いてきます。
特に○○マニアと言われる人たちの行動力と情報発信力には驚かされます。その中でも私が最近特に驚いているのは、ゲーム実況者の執念というか入れ込み具合です。「リセマラ」と呼ばれる手法で何時間もゲームに資源を投下できる才能は恐るべしです。
本当の意味で「なんでもいいから何かを極めたら飯を食える時代」になったんだなと実感するのが、そういったゲーム実況を見ているときです。時に神々しく見えたりします。不思議なものです。
すごい人はどんどん先に進んでいく
現実の世界と違って、ネット上では成功や実績がどんどん蓄積されていきます。過去に良質な記事や動画を作っておけば、それが勝手に数年間は読者、視聴者を集めてくれます。そしてそのアクセスがその人に新たな機会を作ってさらに成長をさせます。まさに良い循環が生まれるのです。
実社会ではそのようなことはなく、流行り廃りや個人の体調、運の要素など、実績を積み上げていくうえで様々な障害があるのですが、ネット上ではそんなことはありません。
そのように、何かに特化したすごい人というのは、ネットの力で先へ先へ進んでいってしまいます。もちろん、そんなすごい人たちにも最初の一歩というものはあったはずなので、我々凡人との差はその最初の一歩付近に転がっているはずです。
でも、以前と違うのは、その最初の一番きつい時期の我慢のレベルというものは圧倒的に下がっていると言えるでしょう。なぜなら、基本的に、好きなことを題材に選ぶことができるからです。
東大に入るためには勉強をしなければいけません。もともと長期的に考えられる人であれば目の前の勉強を淡々とこなしていくこともできるでしょうが、99%の人は誘惑に負け、流されて毎日を過ごしていきます。
でも、ネットにおける発信は目の前の好きなこと、まさにそれが題材となりえるのです。切り取り方ひとつであなたオリジナルのコンテンツを作ることができます。大好きなゲームをとことんやりこんで、発信をできればあなたはそのゲームの大家となることができます。
しかし、ここでもやはり、最低限の継続する力と情報をまとめてわかりやすく伝える力は必要となります。でも、以前よりはチャンスは広がっていますよね。将来何に役に立つかわからないことをひたすら勉強する必要はないのだから。今やりたいことを思い切りやればいいんです。ただし、収益化するためにはアウトプットは必ず必要になりますが。
まとめ:すごい人を見ずにとことん打ち込めばよい
ネット上にはすごい人がたくさんいて、私も毎日のように「この人すごいなぁ」と思ってしまうような人に出会っているわけですが、それは私をやる気にさせるよりも、凹ませることが多いのが本当のところです。
テレビと違い、ネットは垂れ流しではなく自分でクリックをして閲覧するものなので、凹むとわかっているのなら見なけりゃいいのですが、そんな簡単にはいきません。そこはやはり欲に流されてしまいます。テレビと同等かそれ以上に、ネットは私たちの関心を離さないように巧妙に作られています。
では、見ないためにはどうすればよいのか。それは自ら情報を作って発信するということになるでしょう。だらだらと閲覧をするのはやめて、何か好きなことに打ち込んで、その情報をまとめて発信をすれば、好きなことで収入を得て生きていくことができるはずです。
先ほども言いましたが、その好きなことというのは本当に何でもよいのです。一昔前はテレビゲームに打ち込んでもそれで生きていけるなんてことはありませんでしたが、今は本当に心の底からやりたいと思えることを極めればよいのです。ゲームでもアダルトコンテンツでも、法に触れない限りはなんでもよいのです。
そして、法もネット上ではあいまいなので、その境界線で富を築いている人もたくさんいます。
私もそうやって、好きなことだけをして生きていきたいと日々思っているのですが、現実はそう甘くはありません。目の前の欲に流されて生きる毎日はかんたんに変わりそうもありません。
そして、そうしている間にも、ネット上でも実際の世界でもどんどん格差は広がっていくのです。一刻も早く動き出さなきゃいけません。
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