phaさん著「人生の土台となる読書」の感想文です。
ダメな人間、社会でうまくやれない人間ほど、読書が必要なんだなと思わせてくれる興味深い本でした。
無職の私も、これをガイドにして教養の幅を広げようと思いました。
phaさんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その中でも特にお勧めしたい一冊です。
「人生の土台となる読書」でわかること
ニートこそ教養が必要
全編を通して、本の読み方と効用について書かれています。どちらかというと自分の漠然とした考えや思いを代弁してくれる本や、自分と似た境遇にある人の体験談を読んで、共感し、自分だけじゃないんだと励ましてくれるような本を紹介しています。
phaさんは、ご存じのようにニートであることを肯定的にとらえていますが、ニートであっても勉強しなくてよいとは一言も言っていない。
むしろ、ニートであったり社会になじめない人、仕事をしたくない人は、こういった教養みたいなものを身に着けてそれを武器にして生きていくしかないとも言えます。
そこは注意が必要で、無職の私もまるで免罪符のようにphaさんの生き方や著書を引用してしまいますが、そもそも私のような一般ニートとは自頭の良さとインプットの量が違います。
いわゆるエリートニート。少し古い言葉だと高等遊民です。
紹介されている本は、本当に様々です。そして、phaさんの読書はとても自然体です。偉そうな感じがゼロでとても庶民的なものです。マンガもいくつか紹介されています。
中には科学や心理学の本もあるのですが、そこらあたりはさすがというしかありませんね。僕にはちょっと読めそうもありませんが、図書館にあれば借りてみようかなと思いました。
生というむなしさと対峙する読書
phaさんの言動には、生きることに対する虚無感というものが常に付きまとっているような気がします。ニートを名乗っていたのだから当然かもしれません。
でも人間、虚無感ばかりを毎日感じていたのでは生きていくことが難しくなってしまいます。
かといって、心の奥底では違うのに表面的にやる気に満ち溢れているように取り繕うのも、これはこれで精神衛生上好ましくはありません。
あるがままの虚無感を受け入れるためには、今を生きる必要があります。今を生きるとは、未来を見ずに現在そして過去しか意識しないこと。
今と過去しか見ないなんて、とても後ろ向きな姿勢に思われてしまいますが、人間は未来、特にこれから起こるかもしれない悪いことだけに縛られがちなんです。
その、無駄な心配をせずに今を生きるためには、人間社会のこれまでのあゆみと、社会学の知見をもっておくと、不要な苦しみを生みだすことなく健康的に暮らせるということです。たとえニートであったり、今の社会に疎外感をかんじていたとしても。
人間必ず死ぬし、なるようにしかならないという諦観が生きる意欲に結びついているような感覚と言えばしっくりくるだろうか。
いきなり中島らも
これはとても意外だったのですが、最初に紹介されているのが中島らもさんの著書でした。
ダメな生き方のロールモデルをいかに見つけるのかが、生きていくうえでとても重要とphaさんは書いています。なるほど。
現実では、みんな世間体を気にしてダメな部分をあまり見せないものです。本当はみんなダメでどうしようもない人間なんだけど。
でも、エッセイや小説などの文章作品においては、正直にあるがままに、ダメでどうしようもない自分を描くことができます。
そんな誰かのどうしようもない部分は、同じくらいどうしようもない自分を肯定してくれます。誰かのダメな部分を見て自分を肯定して元気になっちゃおうという作戦。
まあでも、本当のダメな奴は本なんて書かなくて、ぼろぼろのママチャリに乗ってパチンコ屋とコンビニを往復するような、そこら辺にいるおやっさんなんですけどね。
中島らもさんも、いわばエリート社会不適合者。どんな分野でもエリートになれば食っていけるということなのか。
まとめ:ニートは生に対して真面目なんだ
ニートは哲学者なんだろうか。
ニートになってしまうような人は、生きることに対して真面目過ぎたり潔癖すぎたりして、そのせいで実社会で生きづらくなっているような気がします。
そうそう、phaさんはニートを自称していましたが、私も含めたそこらへんにいる本当の意味のニートではありません。
著書もたくさんありますし、発言には影響力があります。ニートの親玉的な存在、ニートのラスボスともいえるでしょう。
そんな人がおすすめする本を読んで、ニートとしてのレベルを上げ、就職という安易な道に逃げずに、ニートとして立派に生きていけるように自立するには、やはり読書、教養が大切みたいです。
逃げ道を探すように生きることも、生き方の一つだと思います。そんなことを感じました。
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