「発達障害者の処世術」を自己愛性パーソナリティ障害者視点で読む

2021/08/18

哲学

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私には自己愛性パーソナリティ障害があります。41歳になってやっとはっきりと自分に障害があり、普通の人とは違うのだなと理解するに至りました。

はてな匿名ダイアリーに書かれているこちらの記事は「発達障害者の処世術」というタイトルになってはいますが、対人関係に問題を持っている人全般に対して、とても有効だと感じます。でも同時に、根本的な解決策にはなりえません。

書かれているいくつかの言葉を引用しながら、自己愛性パーソナリティ障害者からの視点で考えてみたいと思います。特に私より若くて悩んでいる人の参考になればうれしいです。

発達障害者の処世術を考察してみる

発達障害者の処世術を考察してみる

人並みの幸せは諦める

これはその通りかもしれません。パーソナリティ障害を持っている人は見える世界がゆがんでいる状態で、それが一生続きます。「私を認めない奴はみんな死ね」と常に思っています。

できることは対処療法のみです。投薬治療は一時的に気分を良くしてくれるだけです。だから最低限の幸せ、普通の人の最低ラインの人生を送ることができたら御の字なのでしょう。生きているだけで十分と思うしかなさそうです。

あきらめるべき「人並みの幸せ」とは、より具体的には日本の学校、会社などでうまくやっていくことです。みんなでワイワイ、楽しそうにしているところに入っていくことは早いうちにあきらめたほうが良いです。

よく考えてみると、そういったもの(グループでわいわいやること)を本当に求めているのか、私はそのことについてもう一度考えてみました。ただ漠然とした孤立の不安から、そういう付き合いには参加しなくてはいけないと思い込んでいたふしがありました。

たしかに寂しく感じることはあります。でも、自分も周囲の人も嫌な思いをするので、そのような付き合いは避けることにしました。

自分だけが目立ちたい、自分だけが正しいと思っている私は、それが叶わないとつらいし、そんなことを考えている人間を相手にする周囲も嫌な思いをします。

くれぐれも、卑屈になって「どうせ私なんて」と考えないようにしてください。考えるべきは、本当は自分は何を求めているのか、なんです。そして、もしそれが、他者からの賞賛だけであった場合は、あなたのパーソナリティは歪んでいるかもしれません。したがって人並みの幸せはあきらめたほうがよさそうです。

障害のことは人前では一切口にしない

まず言ったところで理解されません。そして、余計なことを言ってしまったと後々思い出しては苦しむことになります。

もし障害のことや、認知がゆがんでいるということを伝える相手がいるのだとしたら、それは精神科医のみでしょう。私も別れた妻に最終的に伝えましたが、伝えたところで何も変わりません。

相手にとっては都合の良い自己弁護の言葉にしか聞こえないでしょう。これはとてもセンシティブな問題で、多かれ少なかれ現代社会に生きる人間であれば、性格に歪みがあってそれは千差万別です。

みんなが自分は普通じゃないし、生きるのがつらいと思いながら生きているとも言えます。そんな中で、自分だけがつらい、自分だけが病気だから見逃してくれ、というのはやはり都合がいいでしょう。

障害を公言したところでそれは免罪符になりません。

沈黙は金以上なり

本当に思っていることだけを口に出すようにしましょう。自己愛の強い人は、自分が褒められたいために相手を褒めます。「俺がほめてやったんだから、お前も俺をほめろよ」的なスタンスなんです。

でもこちらのゆがんだ考えは相手にばれているので、褒め返されることはまずありません。

なので、パーソナリティ障害者はお世辞を言わないほうがいいです。普通の人がいうよりもさらにお世辞っぽく響いてしまいます。本当に思っていることを口にするようにしましょう。

もちろん、人に対してのネガティブな感情は絶対に口にしてはいけません。自己愛が強い人は他人に対してネガティブな感情しか持っていないので、必然的に話すことはなくなっていきます。この一連の考えが理解できれば、自ずと口数は減っていくでしょう。

実は話したい事なんてないのです。だから話さないのです。

飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない

宴席はすべて断るようにしましょう。一度でも参加してしまうと、それ以降断りにくくなってしまうので、最初からすべて断りましょう。

何回か「都合が悪い」と断っていれば、そのうち誘われなくなるので安心してください。そして、お世話になった人の送別会なども、直接感謝の気持ちを書いたメールや、手紙を渡すなどすれば十分です。

飲み会に出ても、だれからも話しかけられず、腫物を触るような扱いをされます。それは、参加している本人もつらいし、せっかくの楽しい飲み会が台無しになってしまいます。

冗談やジョークを言わない

これはとても大切です。私はパーソナリティ障害がある人はユーモアのセンスが一般の人よりも高く、そう簡単には笑わないと思っています。そして、どちらかというとシニカルで皮肉めいた笑いを好みます。爆笑問題の太田みたいな笑いです。

そして、普段無表情のパーソナリティ障害者が急にシニカルで皮肉めいた、ウィットに富んだ、高尚なユーモアを口にしても、一般の人には理解できないし、気持ち悪く思われるだけです。

発達障害者の目から見ると、一般の人はすごくつまらないことでも大笑いしているように映ります。それは放っておきましょう。

俺のほうが面白いぞと、ついつい口をはさみたくなりますが、そこはグッと我慢です。自宅で面白いサイトを見るなりして同じレベルの笑いを一人で楽しみましょう。

一番やってはいけないことは、本当はくだらないと思っているのに、無理をして笑ったり周囲に溶け込もうとすることです。これは百害あって一利なしです。

私のような自己愛性パーソナリティ障害者は、人を上からみて評価をしがちです。会話の内容を純粋に楽しむのではなくて、それが自分にとって有益なのか無益なのか、自分にとって面白いのか面白くないのか、そんな基準でしか判断ができないんです。

言葉は、パーソナリティ障害を持っている人にとっては、問題の源です。それは自分の中にも響くし、周囲の人にとっても最悪な響きとなります。

口に出すのは挨拶と感謝と謝罪だけにすべし

これも極めて的を得ています。余計なことは一切口にしないと決めて生活をしたほうが、結果的に自分が傷つかなくて済みます。

「ありがとう」「ごめんなさい」これだけでやり過ごしましょう。私も含めて発達障害のある人は、少し先のことを考えていたり、普通の人よりの頭の回転が速い傾向にあるので、こちらの意図していることは正確に伝わりません。

だから、たとえ頭の中にいいアイデアなどが浮かんでも黙っていましょう。もしどうしても意見を求められた場合でも、その場で口にすることは避けましょう。きちんと内容を吟味してメールや書面で伝えましょう。

人前で趣味や遊びの話は絶対に口にしないこと

別に口にしても構わないのですが、パーソナリティ障害がある人はそれらの発言を、何か良いリアクションを得られたり、尊敬されるかも、といった期待とともに口にする傾向があります。そこが一般の人ととの大きな違いです。

一般の人は、起きた出来事をただ自分が話したいから話します。たとえそれが喝采を浴びようが誰も聞いていなかろうが別に気にしないのです。でも私のようなパーソナリティ障害者は相手のリアクションが過度に気になるのです。

そしてもう一点、調子に乗って話過ぎると確実に将来、後悔することになります。障害がある人は、相手の言葉尻にも敏感に反応しますし、それは自分の言葉にも同じで、一言一言を覚えていて、急に恥ずかしくなったり怒ったりする傾向があります。

相手にとっても自分にとっても、言葉は少なければ少ないほうが良いです。

自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないこと

先ほどと少し重複しますが、誰かが自分の得意分野の話をしているときに、聞かれてもいないのに入っていって自分の知識をひけらかしたがる傾向が私たちにはあるようです。

それは、純粋に相手に情報を伝えたいわけではなくて、自分が博識であることを知ってもらいたいがため、尊敬されたいがため、なのです。

私たちは歪んでいます。私たちは意地悪で基本的に自分のことしか考えていません。口を開く目的は、自己顕示のためなので相手も自分も嫌な思いをします。無理をしてニコニコうなずく必要もありません。クールにいるようにしましょう。

だって、ニコニコしているからと言っていい人だと、あなた自身も判断しないはずです。

はしゃがない。笑わない。

これもその通りだと思います。パーソナリティ障害がある人は、気分の上がり下がりがとても激しく、昨日大好きだった人を、今日は大嫌いになったりします。

ちょっと話しかけられただけで「あいつはいいやつだ」と思ったり、ちょっと挨拶をしてくれなかっただけで「死ねばいいのに」と思ってしまいます。

極端に振れないように、常にクールでいるようにしましょう。嫌われたくないからと言って愛想笑いをする必要もありません。相手にはばれるので、それが余計に怖く映ります。

発達障害がある人は、基本的に誰よりも敏感なので、人のつらい気持ちなどがほかの人よりも直感でわかります。だから、ニコニコしたりお世辞を言ったりしていい人ぶる必要はありません。

いつも笑わないし口数も少ないけど、悪い人じゃないよねと周囲から思われるくらいで丁度良いのです。そんな言動を心がけましょう。人畜無害な人間になるように心がけましょう。居てもいなくても変わらない、空気のような存在になれたら満点です。

定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし

嘘つきは言い過ぎかもしれません(笑)でも、彼らはつまらないことでも平気で大笑いしたり、自分の身を守るためなら自分の考えや意見なんて平気で抑えることができます。

それが俗にいう普通なのでしょう。反対に、私たちはつまらないことに笑うことはできないですし、どう考えても間違っていることにもろ手を挙げて賛成もできません。

でも普通の人はそれができます。ここで肝心なのは、私たちは嘘をつかないということ。なぜなら、嘘をつくことが超ヘタだからです。嘘をつかずに、でも否定や攻撃もせず、ただ黙っていることが唯一の対処法です。

普通の人をお手本にして真似てはいけません。彼らみたいに生まれた時から、社会性という演技ができる適性を私たちは持ち合わせていないのです。

職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一人作業が多い仕事かどうかを基準に選ぶ

私の考えですが、とにかく部屋から出て職場にいるだけでも、ものすごいストレスなので、拘束時間少ない仕事、責任が少ない仕事を選ぶべきだと思います。

パーソナリティ障害の人は基本的にお金を稼ぐのが苦手だと思います。私がまさにそうなんです。一生お金とは縁がないでしょう。

中にはものすごい頭の良いパーソナリティ障害者もいるのでしょうが、日本は基本的にコミュニケーション能力がないとお金を稼ぐことはできません。

ということで私は、アルバイトが合っているという結論に達しました。その中でもなるべく効率が良くて拘束時間の少ない、家から近いアルバイトを探すようにしています。

アルバイトだったら単純作業も多いし、まったく雑談をせずに淡々と作業できるものも多くあります。

人間関係はトラブルしか生まない

残念ながらこれは事実です。とても残念です。でも私の人生がまさにそれでした。私に関わった人は皆嫌な思いをしています。なぜなら私は、自分も含めた人間が全て嫌いだからです。そんな人間が誰かに好かれたりするはずはないですよね。

でも孤立することはやっぱりつらいものです。なので犬を飼うことをお勧めします。パーソナリティ障害者にとって犬の存在は一つの救いです。

自分にも他人にも意地悪な特性は終生付きまといます。演技をして何とか生きていくことはできますが、この性格や思考は変えることはできません。演技をするのはものすごいストレスになります。だから人間関係は極力避けるべきです。

孤立や孤独は発達障害者の運命だと思って諦めること

私もどこに行っても一人でした。そしてそれが、求めていることでもあったし淋しくも感じていました。たまに言われるのですが、僕は自分から孤独な道を選んでいるようです。

本当は普通の人のようにうまくコミュニケーションをとりたいのですが、その方法が全く分からないので、自分から近寄ることはできず、どうしても離れて行ってしまいます。

人間は動物です。少し周りと違うとどうしても孤立し攻撃されます。でも今の社会は一人でも生きていける社会になりました。パーソナリティ障害を持つ人にとっては生きやすい時代です。そんなタイミングで生まれたことには感謝しかありません。

他人と会話がしたいならネットの掲示板だけに留めておくこと

私もネットがあるからなんとかなっています。外の世界とのつながりとしてテレビという方法もありますが、基本的に他者に対して意地悪であるパーソナリティ障害をさらに悪化させるものだと私は感じています。

テレビは人の意地悪心や虚栄心、他者を批評する側面を際立たせます。スポーツ観戦などもそうだと思います。

娯楽はネット動画などにして、基本的に批判ではなくて純粋に楽しいと思えるものを選びましょう。

私が思う対処方法について

私が思う対処方法について

本当に欲しているものは何だろうか

ここに書かれている処世術に従えば対人関係での衝突や事故を防ぐことはできます。でも、本当は話したいのにとか、仲間に入りたいのにとか思いながらこれらのアドバイスに従うと、とてもつらいしストレスが溜まって体を壊しかねません。

だから、話したいなら話せばいいと思います。輪の中に入りたいなら入ればいいと思います。

でも、あなたは本当に話がしたいですか? 輪の中に入りたいですか? 本当に目的はそれですか? 実際はただ、誰かに認められたり、褒められたりしたいだけではないでしょうか。

私は長い自問自答の結果、ただ自分が認められたいと思っているだけだと気が付きました。そして、それ以外に本当に自分が求めているものは何か、心と向き合って長いこと考えてきました。それは「ひたすらに穏やかな時間」でした。

雑音がない、体調が良い、嫌な臭いもしない、気温もちょうどよい、そんな環境を常に求めていることに気が付きました。

超繊細なので、ひたすら刺激のない環境だけが欲しいのです。

本当に欲しているものは人によって大きく違うと思います。でも一つだけ言えることは、他者からの賞賛が最も欲しいものとして、それを目当てに生きている人は、明らかにパーソナリティ障害がある人です。

考え方を変えるコツ

私が経験上、もっと効果的な考えを変える方法だと感じているのは「私は障害者だ」と認めることです。おそらく、多くの人は私のことを障害者だとは思っていないでしょう。見た目も普通だし、礼儀正しく落ち着いていると言われることもあります。

でも、他人のちょっとした言動に腹が立ちますし、あんな奴死ねばいいのにってすぐ思うし、そして自分自身に対しても、死ねばいいのにと唱えながら暮らしていますし、そんな態度ですべての人、社会を眺めています。

これはやはり障害です。体に障害がある人や日常生活に支障がある知的障害と同じ、立派な障害です。

「自分は障害者なんだ」と本当の意味で人生を振り返り自覚し、受け入れることはとても辛いことです。

ですが。それができると普通の人のような人生を送ることに対して諦めがつきますし、最低限、ストレスがない生活、アルバイトでもいいから何とか生きていく生活にシフトすることができます。

それが偽りのない本当の自分の姿なのですから。

攻撃的で極端に脆い自己について

私は非常に攻撃的です。それは怖いからです。弱い犬ほどよく吠えるのとおなじです。私は他人のちょっとしたミスも許しません。そして他人も私のちょっとしたミスを許さないと思い込んでいます。

だから対人関係は常にピリピリしたものだと思い込んでいます。自己愛性と妄想型が共存しているパーソナリティ障害なんでしょう、きっと。

そんな考えなので、私は他人に甘えること、人によりかかることができません。そして、誰かに甘えられることも嫌だし、寄りかかられるのも嫌です。

だから孤独を受け入れなくてはいけないのです。自分で選んだことだから受け入れています。寂しいけど、人生も半分が過ぎたし、あとはじっと我慢していればこの世から消えてなくなります。

若いパーソナリティ障害者は、社会へのあこがれや他者への希望もまだまだ強いでしょう。多くの失敗を繰り返して自分で見つけていくしか、方法はないと思います。ここで私がさんざん過去の自分の過ちを取り上げて、注意を喚起したところで意味はありません。

でも、ここに書かれていることを頭の片隅にいれておいて、いつか自分で気づいた時のガイドにしてほしいと願っています。

パーソナリティ障害者の生き方は相対的で、絶対的ではない

自己愛性パーソナリティ障害者は極めて個性的に映りますが、実は自分というものが全くないのです。いつでもどこでも他者との比較のなかで生きています。

常に人よりも勝っていたい、馬鹿にされたくない、というのが生きるモチベーションになっているので、人の目がない環境ではただの自堕落でだらしのない人間になります。

偶然職場に恵まれたり、人の上に立つ仕事に就けた人は、そういった特徴をプラスに変えることができるでしょう。

でもひとたびその地位を失ったとき、自分というものが全くない自分に気が付いて、苦しむことになります。

言葉には最大限注意しつつ、希望として考える

パーソナリティ障害を持っている人、発達障害を持っている人は、言葉に長けている場合があります。だからなおさら誰かに話してそれをひけらかしたくなるみたいです。

でも周囲の人は、誰もあなたの話なんか聞きたくないのです。それを理解しましょう。そして黙っていましょう。

言葉をうまく操ることができるので、文章を書いたりYouTubeで発信をしたりすると、成功する可能性があります。他人よりも敏感だとあなたが感じていたら、そういったことにもぜひ挑戦してみてください。救いになるかもしれません。

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