アメリカで放浪生活を送る人に焦点を当てた映画「ノマドランド」
一人で生きていくことが可能になった現代で、それをもう一度問い直すような作品でした。生き方に正解はないし、それぞれが好きに生きればいい、それはわかっているのだが、人間そう簡単に割り切れるものではありません。
主人公が恐れているものは何なのか?
画像はサーチライト・ピクチャーズより |
主人公ファーンは一見とても頑固に見えます。住み慣れた町が経済の悪化により消滅し、夫に先立たれて以来、ヴァンガードと名付けたバンで各地を放浪しながら季節労働者として働きます。親族や友人が一緒に住まないかと提案をしてくれますが、毎回それを断り住み慣れたバンに戻っていくのです。
彼女は人と暮らすことを恐れているように見えます。それは誰かと暮らすことによって生じるプレッシャーなのか、自由を奪われることなのか、いずれにしても自分の行動を制限するものにひどく敏感になっている様子が見て取れます。
私も結婚生活の不自由さとそれ引き換えに得られる安心感を体験しているので、彼女の行動には共感する部分が多かったです。
自分自身を生きるとは?
そんな彼女を観察していて感じたのは、人は一人になって初めて本当の意味で生きることができるということ。一度生活の拠点を構えて社会の中で生きていた人が、すべてを失って放浪の身となったとき、身の回りの小さなことや、関わる人の人生や、自然界の様子に目が向くようになります。知らず知らずのうちに自分を守っていた殻のようなものから自由になれるからなのでしょうか。
死を意識した生き方
同じノマド生活をしている人は高齢の単身者が多いので、人知れず亡くなることもあります。主人公自身も常に死を意識しているように見えます。そして、強く意識をしているのにも関わらず、具体的なことは何も決めていません。何をするでもなく、計画があるわけでもなく、ただ何となく死から逃れるようにあちこち放浪する、そんな生活です。
生き方の対比としての姉
主人公の姉は安定した老後を手に入れています。主人公とはまるで正反対の、柔和な表情をした一見素敵な老婦人です。主人公はいつもとても険しい表情をしています。よく言えば精悍と言えるでしょうが、悪く言うと、疑い深いような何かに常に警戒をしているようなそんな表情です。野生に近いとも表現できるかな。
そんな姉の目から見ると、主人公はいつも自立していて行動力があるように映っていたようです。なまじ行動力があると孤立するのが社会なのかもしれません。それは時代が変わっても同じことです。
まとめ:孤独と自由はいつもセット
いろいろな感想に至ることが可能なこの作品ですが、私が感じたのは、自由でいるためには孤独と向き合う必要があるということでしょうか。配偶者との死別や離婚を経験している人にはよくわかる感情だと思います。そして一度その孤独かつ自由な境遇に身を置くと、そこから抜け出すことは困難になります。それは「堕ちた」のか、「ワンランク上の景色」なのか、それはわかりません。
でも、見たくないものを見ないようにして生きるよりも、見たくないものまでしっかり見て生きるほうが、やはり本当の意味で生きているということができるのでは?と感じました。
「私は思い出を引きずりすぎたのかもしれない」
と映画後半で彼女は語ります。
そして、今は廃墟になった街に戻り、貸し倉庫に残しておいた私物をすべて処分します。
これは何かに対する決心なのか、諦めなのか、定かではありません。
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