【ハチェットとクルーソー】サバイバルタイプの違いと未来について

2021/11/11

哲学

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サバイバル系の小説ほど面白いものはありません。名作と呼ばれているものも多くあります。その状況は様々ですが、ここでは一人きりで助かる見込みのない境遇に置かれた二人の主人公のサバイバルから、人間の本性を透かして見てみたいと思います。

ともに名作です。ハチェットに関しては英語で読まれることをお勧めします。


一日を生き抜くハチェット的漂流


ブライアン的サバイバル生活

主人公のブライアンは13歳の男の子で、飛行機事故が原因で深い森の中の湖に一人取り残されます。

持っている道具は一つの小さな手斧と、その時着ていた衣類だけでした。

破れたウインドウブレーカーを使って木の実を集めたり、蚊の大群から身を守ったり、本当に何もない状態からのスタートでした。

当面の課題はいま食べるものをいかに確保するか。それと、クマなどの外敵から身を守ってくれる住みかをいかに確保するか。それらを頭を使いながら、時々テレビ番組で見たシーンや、普段の生活で聞いたことがある話を思い出しながら、少しずつ課題をクリアしていきます。

2か月弱で彼は救出されますが、そのころになると、火を起こすこともできるようになり、自分で工夫したトラップで魚をとらえ、生け簀の中に保存しいつでも食べられるようにしたり、靴紐を使った手製の弓で魚や獣をとらえて食料にすることも可能になっていました。

ここまでがブライアンがたどったサバイバル生活の中身となります。

詳しくは本書を手に取ってみてください。


今に集中することで得られる充実感

作中でのブライアンは一度も遠い将来のことは考えません。唯一考えたのはもうすぐやってくる冬のことくらいです。あまりにも何もないところからのスタートだったので、過去や未来について思いをはせることもなく、ひたすら食と住について考えて行動をしていました。

ここから私たちが学べることは、ものがふんだんにあって、将来が決まっている安定のなかより、(必死に生きるという面に関しては)何もないほうが人生に絶望したりしないのではないか?ということです。この後触れる、ロビンソン・クルーソーとは対照的な漂流生活と言えます。

生きることに必死な状況に身を置いたほうが、考えなくてもよい余計なことを考えなくてもいいわけです。これは幸せなことかもしれません。それは、現代では何になるでしょうか?

自らの意志で、恐怖に打ち勝ってサバイバル状況に身を置いて、生きていることを実感できる人はごく少数で、多くの人はブライアンと同じようにそうせざるを得ない状況になって初めて体感できることでしょう。


絶対的な孤独を約束されたクルーソーの漂流


クルーソー的サバイバル生活

ハチェットのブライアンに比べて、クルーソーの漂流は少し特殊です。

ハチェットを含むほかのサバイバル系小説と比べると、ゆるい感じのサバイバルで序盤から楽勝ムードが漂っています。

主人公のクルーソーは十分な資材と食料とともに無人島に漂着します。船が座礁し乗っていた十数人の乗組員はクルーソーを残してみんな死んでしまいます。クルーソーはただ一人、幸運もあって近くの無人島に漂着します。

彼は浅瀬に打ち上げられた母船から資材を島に運ぶことができたので、ほとんどすべての道具と当面の食料を手にしたところからサバイバル生活をスタートさせます。

道具の中には銃とふんだんな火薬もあったので、島に生息している鳥や獣をすぐに得ることができました。旨いとか不味いとか、そんなことも言えるくらい余裕だったのです。ハチェットのブライアンが最初の一羽の鳥を捕まえるまでに多くの時間を費やしたのとは対照的と言えますね。

ということで、すぐに彼の生活は安定します。その気になれば何十年と生活が可能だということに気がつくと、彼は激しい孤独と絶望に襲われます。特に体調を崩して寝込んでいるときに不安を強く感じました。

船が座礁したときにほかの乗組員同様に死んでいたほうがましだった、という思いも何度も頭をよぎるわけです。そんなときに、彼を救ったのが信仰でした。


生きていることを実感する必要がある

それまでの彼は信仰には疎く、むしろ神を馬鹿にするような、無意味なものとして存在を意識するようなものではなかったのです。そんな彼がいざ一人生き残って過去の自分を振り返り、その因果応報を考え出すと、神という存在が彼の中でとても大きくなっていって、しまいには毎朝祈ることを日課にしたり安息日を設けて神聖な一日を送ったり…きわめて敬虔なキリスト教徒になっていきます。

私はこの信仰のくだりを読んでいてすこし可笑しい気持ちになりました。かなり特殊な環境下に置かれた彼が求めた救いは宗教だったのかと。でも多くの人が彼がたどった過程を経験するのでしょう。

よく子供のころ、もしこの世の中でただ一人残されたら、何をするかと皆で話し合いましたが、もし当面の生活に困らず生きていけることがわかっていたのなら、逆に自ら命を絶ってしまう危険はあるのではないでしょうか。

そんな死の誘惑から救ってくれるのが、神への信仰と、多くのエピソードが描かれている聖書という一冊のいわば「エピソード集」だったのです。

ということで、クルーソーは漂流によってそれまでの衝動的な生き方を見直し、信仰の生活に身を投じたというわけです。数年がたつと、むしろ何かと面倒が多い人間社会で暮らすことよりも、無人島での生活の方が快適なのかもしれないというところまで、強い人間に変化していきます。

具体的なサバイバルと教化の過程は本を読んでみてください。

大人向けですが、こんなに面白い本はありません!


まとめ:漂流を人生に当てはめて考えてみる


現代を生きる私たちは生まれた時から比較的安定した状態の中で生活しています。

その安定は私たちを本当の意味で生かしてくれているのでしょうか。ただその安定の上に胡坐をかいて死ぬまで黙っていていいのでしょうか?


クルーソーはのちに自ら船を作って、島の反対側まで行こうと出発します。ですが潮流で島からどんどん離されていったときに、強い後悔を感じます。自ら作った安定は失って初めて気がつくのです。「あんな一人ぼっちの無人島生活だっけど、それは最高だったのだ」と気がつきます。潮流が変わってなんとか彼はまたもとの生活拠点に戻ってくることができましたが、「もう二度とあんな馬鹿な真似はしない」と誓うのです。

こうやって人は、安定を得るために周囲を必死になって固め、その時は我を忘れて活動をし、生活が安定するとそれに飽き足らずにまた違うものを追いかけ、失ったものの大きさに気がついて後悔する。

これを好奇心と呼ぶのか、放浪癖と呼ぶのか、定かではありませんが人間が本来持っているもので、それを理性、いや怠惰な考えで私たちはサバイバルを避けて毎日をだらだらと生きています。

普通の少年に戻ったブライアンのその後は詳しく描かれていませんが、一度極限状態を経験した彼はどんな人生を歩むのでしょうか。安定した生活の中で絶望を感じることもあるでしょう。

クルーソーの放浪癖と信仰の関係はどう変わっていくのでしょうか?


それらを運命に委ねるのではなく、自ら選び取っていける人が英雄と呼ばれるのでしょう。たぶん。

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