【ひろゆきとソクラテス】無知の知とバカはバカとハイ論破

ひろゆきさんを見ているとなんだかソクラテスを思い出してしまうのは私だけでしょうか?

もと2ちゃんねるの管理人であるひろゆきさん。何かと話題になることも多い有名な人です。彼は議論に強いと言われています。そこで、同じく議論を吹っかけては相手を困らせたソクラテスとの共通点を考えてみたいと思います。

ちなみにわたしは、ひろゆきさんが好きでもきらいでもありません。ただ切り抜き動画などをみて感じたことを書いてみます。

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ひろゆきの「バカはバカ」と議論の方法

ネクタイを締める男性のイメージ

ひろゆきさんは「バカなんだから」とか「バカには構わないほうがいい」とか「○○する人はバカ」だとか、そんな言い方をすることが良くあります。これはあくまでもネットの切り抜き動画を見ての感想ですが、以下のような人のことをバカと呼んでいるようです。

ひろゆき流、バカの3大要素

  • 現実をみていない人
  • 情報を集めていない人
  • 相手を観察していない人

それぞれ見ていきましょう。

現実を見ていない人

ひろゆきさんは何かを語るときのベースとして、必ず「現実」からスタートします。例えば、社会に不満を持っている人へのアドバイスなどは、そもそも期待をしすぎているし、頭の中に理想像があるからいけないのだ、という結論になることが多いです。ひたすら現実を見て、変えられるのは自分の考えと行動であるというアドバイスに終始しています。

社会的に地位が高い人との議論を見ていると、それを指摘することが多いです。彼らにはまず理想の姿が頭の中にあり、現実をそこまで引き上げようと考えていて、そんな議論の進め方をしますが、ひろゆきさんは「いや、実際問題○○ですよね。」と切り出します。2チャンネルの存在なんかまさにそれで、あの掲示板は、人間の生臭い現実が羅列されています。

情報を集めていない人

誰に何を聞けばいいのかわかっていない人、ネット検索でわかるようなことをわざわざ人に聞くような人のことをバカと呼ぶ傾向があります。ネットの発達によって確かに情報量は膨大なものになりましたが、そのことによってより情報格差、すなわち、情報を探してきて使える人と、情報の探し方すらわからない人の格差は広がっています。

そして、このネット社会で情報を得る手段がわからない人や、それをしようと努力しない人にややきつくあたる傾向があります。掲示板というまさに情報リテラシーが必要なものを運営している人の発言でしょう。

相手を観察していない人

誰が相手でも、同じように自分の主張や考えを押し付けようとする人に対して、異を唱えることが多い印象です。世の中には話が通じる人と全く通じない人がいて、その通じない人のことをバカというのではなく、通じない人に向かって何とかわからせようと無駄な努力をする人のことをバカと呼びます。これは現実を見ていない人と若干かぶる部分もありますが、人間に対する諦観した態度、冷めている態度と言えます。

バカにたいして本気になることのほうが、バカよりも何倍もバカだ、という考えです。

ひろゆきさん自身と議論の方法について

上記にあげたバカの3大要素をひろゆきさん自身は持っていないと私は判断しました。
ひろゆきさんは、難しい言葉を使ったり、現実とかけ離れた理想をあまり語りません。あくまでも自分が知っていることと、現実のみが彼の論拠になっています。
でも彼が対峙する知識人、特に偉いと言われる立場にある人は理想像やあるべき姿から議論を展開する人が多く、現実と理想との違いを指摘されると「実際にそういう仕組みなんだから仕方がないだろ」などと感情的に反発をします。でもひろゆきさんの回答は、間違った仕組みと分かっているのに、それを正そうとしなかったり、何も考えずに間違った仕組みに基づいて行動をするのはなぜなのか?問うものです。

とくに、「日本の企業のトップは無能な人が多い」という趣旨の発言は多くされていて、これは、その人が無能なのはどうでもいいことなんだけど、その無能である自覚がない人(要するにバカ)が責任の重い仕事をしているのはなぜなのか?という問いがあります。(ソクラテスの無知の知を相手に喚起する議論にとても似ています)

ひろゆきさんは自分ができることの範囲をわかっています。所詮、ネットオタクで掲示板の管理人程度しかできないと自分でわかっているのです。事業に成功し豊かな生活をしているので、私たちはひろゆきさんのことをどこかで成功者、特別な人のように思ってしまっているでしょうが、彼はただのネットオタクの引きこもりで、実際にひろゆきさん自身も、運が良かっただけだと話しています。今もパリで引きこもり生活をしています。

自分の能力を適正に判断しそれに見合った仕事についている人の方が圧倒的に少なく、嘘をついたり自分を見た目やうわべの専門用語で飾り立てないと、やっていけないという人が多いのです。特に会社のトップや専門家、知識人と言われる人との対談を見ているとそれが暴露されていきます。

ひろゆきさんはとても冷静に見えますが、たまに感情的に相手を攻撃するときがあります。そのときのパターンは決まっています。

  • 相手が発言に責任を持っていないとき
  • めんどくさい、どうでもよい、などと議論そのものを避けようとしたとき

この2点です。

そもそも相手が自分ではコントロールできない範囲にまで議論を広げすぎたり、事実とは異なることを発言して矛盾が生じ収拾がつかなくなると、このような事態が起こりやすくなります。要するに、まんまとひろゆきさんにイライラさせられた状態になるということ。

より良い解決策を探るための議論において、このような不誠実さはひろゆきさんにとっては許すことができないことなのでしょう。自分の本当の実力と、使う言葉や肩書との間に乖離がある人の場合、ほぼ確実にこのような事態に陥ってしまいます。

ひろゆきが「論破」されることがほぼない理由

彼が弱みを見せることがない理由は、そもそも彼自身が重要な立場にいないからともいえます。

例えば、「実際にあなたは当事者じゃないからそんな気楽なことが言えるんだ!」と反論された場合、「はい、そうです。」と言える強さがある。

そこには、自分はネット掲示板の管理人程度の能力しかなくてそれをちゃんとわかっているからだという強さがあり、自分はあなたと違って自分の実力を正しく評価して、居るべき場所にいるんですよ、というメッセージも含まれています。

そこでひろゆきさんは「じゃあ、あなたはそんな重要な仕事をしてるくらいだから、その仕事に関連する事柄はすべてきちんと説明できますよね?」とやり返すわけです。

そしてもう一つ大きな特徴があります。

それは、自分の手に負えない言葉を弄して他人をやり込めようとしていないこと。だからそもそも論理に矛盾は生じないし、無理をして言葉を言葉でごまかす必要もないというわけです。

いつも等身大でいると、そりゃツッコミどころは生まれないということです。

ソクラテスの「無知の知」と議論の方法

さて、ここまでひろゆきさんの考え方と議論の方法についてみてきました。ここまででも十分にソクラテスっぽい部分は感じたと思います。では、ソクラテスの議論の仕方についても見ていきましょう。

ソクラテスは自分に自信がありませんでしたし、自分は何も知らないと常々思っていた少し変わった哲学者でした。これは謙遜とかひねくれた考えではなく、本当にそう思っていたようです。(私の解釈で諸説あり)

ある日、神託という形で自分が賢いらしいという話を人に聞き、じゃあ実際に知識人と言われている人たちと対談をしてそれを確認してみよう、というのが彼の伝説の始まりです。

初めは純粋に自分の知らないことを聞いて回ってみて、この世の中に自分より賢い人がいるのかを確かめることが目的だったのですが、そのうち、知識人と言われている人たちは実はたいしてモノを知らないということがわかってきます。

モノを知らないだけなら別に構わないのですが、彼らの悪いところは「知ったかぶり」をするところだとソクラテスは少し意地悪な気持ちになっていきます。そして、「○○とは何ぞや?」という質問を繰り返して相手をやり込めるのです。

彼の問いに答えることができなかった知識人たちは、公衆の面前で恥をかかされたので当然怒ります。その無知を指摘され、恥をかかされて逆上し、しまいには彼を訴え死に追いやってしまいます。

ちなみにこのソクラテスがふっかけた議論ですが、どこまで行っても答えもしくは結論には至りません。なぜなら、ソクラテス自身も、相手も、対象になっている事物の本質がわかっていないからです。唯一はっきりしていることは、ソクラテスは知らないことを認めていることであり、相手は知らないことを認めていない、ということ。

なので「じゃあお前はその本質を知っているのか?」と尋ねられたら「いや、知らない。知っているわけないじゃん。」とソクラテスは平気で答えます。知らないものは知らないんです。そして、そのことをわかっているのが「無知の知」と言われていることです。

ソクラテスは自分というものを過小評価も過大評価もしていません。伝えられている話によると、とても素直でそのぶん変人で、たちの悪いところもあったようです。弟子であるプラトンのように、モノには理想の形が存在する(イデア)といったような自説も持たず、ひたすら対話を繰り返す中で研鑽を試みるという学問スタイルでした。まさに論客、そして弁証法の元祖ともいえる哲学的ストロングスタイルでした。

まとめ:己を知れば百戦殆からず

ということで、ソクラテスとひろゆきさんの議論と考え、類似点を見てきました。

ひろゆきさんの切り抜き動画などを見ていると、「バカ」という言葉が多く出てきます。これは相手を攻撃しているのではなく、ちゃんと自分自身を知っておいたほうがいいよというメッセージです。

世の中のほとんどの人は実際はバカなんです。でも社会に出ると仕事をして立場の違いが生まれ、役職がついて、見栄を張り、自分をよく見せる必要が出てきます。自己保存のために平気でうそをついたりそれっぽい言葉を使って自分を守ろうと必死になるわけです。

バカはバカなんだからという言葉は、きちんと自分のリアルな能力と向き合って無理をしないことによって、人に騙されたり社会に騙されたりしないようにしましょうという意味だと私は解釈していますし、ひろゆきさん自身もたまに口にします。バカは利用されるしそれで経済が回っている(ギャンブル、宝くじ、ブラック企業など)ということはよく聞く話です。

「己を知っているか否か」これがメッセージで、両者ともに相手をやり込めることを意図した言動ではなく、とても素直でピュアな心が出発点にあるのです。そして、そんなピュアな心に対して誠実に向き合わない人は困ってしまいます。相手を映す鏡みたいなものです。

でも、己を知ること、いつでも素直でいることはとっても難しいです。やはり少しでもよく見られたいし周りから尊敬されたい。でもソクラテスもひろゆきさんも見た目や肩書に縛られることはありません。

そこにあるのは等身大の自分への信頼です。二人ともピュアな実践家なのです。

それが、自分を偽って生きている私のような人間には脅威に感じ、自分が攻撃されたと受け取り反論します。

ソクラテスに至っては死をもってその言動の意味を証明するしかないという事態になってしまいました。ソクラテスの死に関しては、それが哲学者としての完成をも意味していたので、ひろゆきさんにアンチがいることとの関連はありませんが、ひろゆきさんがある一定の人たちから攻撃される理由はここにあるでしょう。

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