【ルソー:学問芸術論】祖国と祖国愛は私たちに必要なもの?

2021/10/20

ルソー

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ルソーの著作の中には、祖国、祖国愛という言葉が多用されます。

現代人の我々がほとんど失っている祖国という概念。

彼はそれこそが市民が持ちうる最高の美徳の一つとしました。

それはなぜなのか、検討してみましょう。


祖国とは何だろうか?


ただ自分がうまれた場所だからといって、その国が祖国となりうるのでしょうか?

そして、自分が生まれた国でひどい目に合う人や、慣れ親しんだ土地を戦争や災害で追われる人も当然存在します。

祖国愛を語る前に、祖国を見つける必要がありますね。


現代ではグローバリゼーションも進み、自己の欲望の充足が最優先されるので、お金さえあればどこでだって生きていけると考える人が多いと思います。

でも実際問題として、いくらお金があっても何も保障してくれない国家はたくさんあります。

それは皆さんご承知のとおりです。


祖国が自分の生活や財産、家族を守ってくれる代わりに、市民はいつでもその命を祖国のために用いる用意がある、これがルソーが考えた祖国への愛です。

まさに契約と言えるようなものです。

現代では、そこまで考えるのは少し過激かもしれませんが、よくよく考えれば、私たちがこうしてある程度自由に暮らし財産も補償されているのは、日本という国が安定しているからです。

海外旅行や海外赴任歴がある人なんかは、余計に日本のすばらしさを体感し、まさに祖国愛のようなものを感じたことがあるでしょう。


でも、ただ漠然と「日本が好きなんだ」で終わってしまうと、なぜこのような安定した状態を保てているのかを知らないままです。

そこで、その仕組みを知るためにも公教育が必要になります。


国のことをよく知り、その仕組みに賛成できて初めて自分にとっての祖国の完成です。

そしてそれを守っていきたいとおのずから思う感情が祖国愛と言える、そうルソーは考えました。


ルソーが祖国、都市国家をとても意識していた理由


ルソーはジュネーブ市民であることを終生誇りに感じていたし、晩年、一時は嫌いでさえあった父を理想的な祖国愛にあふれたジュネーブ市民として称賛するにいたります。

当時のジュネーブは建国当時の理想はすっかり消え去り、一部の貴族による専制政治がおこなわれていました。

政府の圧政に対抗していた父とその仲間たちをルソーは祖国愛の象徴として振り返ります。

市民の精神、祖国愛が都市国家を防衛するのがカッコイイというわけです。


それがルソーの祖国というものに対する思いの出発点です。

そして執着した理由は、その祖国から追われて根無し草になってしまったからです。

彼が心から欲していたのは、祖国と祖国愛だったとも言えます。


そして、思想家として歩み始めたルソーの頭の中には常に理想の国家像がありました。

なので彼の著作は、国家とは、市民とは、法律とは、教育とは、といった内容が多いのです。


実在した彼の理想に最も近い国家として、古代のスパルタという都市国家があげられています。


ルソーは質実剛健なスパルタ式のシステムを好んだ


まずは二つの都市国家、アテナイとスパルタの比較からしていきましょう。


アテナイは学問と芸術が退廃させた好例として、ルソーの論拠ともいえる都市国家でした。

輝かしいが短命な国家」と表現しています。

あらゆるものを取り入れ、都市としての成長に重きを置き、優美で華麗、弁論や哲学を歓迎し、人々は奢侈(ぜいたく)を好むようになります。

その結果として市民は自分が楽しければそれでよいという考えになってしまい、最終的に都市国家としての機能はダメになってしまいました。

これはまさしくルソーの第一論文「学問芸術論」で指摘した、学問と芸術は社会を退廃させた、です。


それにたいして、スパルタという都市国家はいかなる芸術作品も残さなかったとルソーは熱弁します。

最近あまり聞かなくなりましたが、「スパルタ教育」の語源となった都市国家です。

スパルタに生まれた子供は幼いころから将来国を守る兵力として厳重な管理下のもと心身を教育をされました。

アテナイが、自由で弁論や芸術を尊重したここと正反対ですね。

贅沢をさせずに余計な情報に触れさせない「幸福なる無知」の状態であったとルソーは表現しています。

長らく繁栄した理由は、市民一人ひとりが生まれた時から都市国家に帰属し、国に守られ国を守るという信頼関係を築くことができたからでしょう。

このスパルタという都市国家が、ルソーの理想の祖国でした。


では国にとって贅沢は敵なのだろうか?


少し祖国という言葉からは離れますが、贅沢について考えてみましょう。

贅沢は習俗を破壊し祖国への愛を失わせ、自身の国に対する興味までをも奪ってしまう、とルソーはちょっと強めに断言しています。

市民が贅沢を覚えると、公的なものに無関心になり、私的な欲望の充足だけに生きるようになってしまう。

これは現代の日本も抱えている大きな問題の一つですね。

公務員を志す人は多いが、それは待遇と地位が保証されているからであり、心から国や地域を愛し奉仕の精神で仕事をしている人はほとんどいません。

贅沢に端を発した公的なものへの無関心は、長期的に見れば国家の滅亡を招きかねないでしょう。


でも実際は贅沢が経済を動かし、国を富ませているというのが資本主義のもどかしいところです。

お金持ちの贅沢が雇用を生み出し、貧しい人は仕事にありつける。

ここまで話が進んでしまうと話が大きくなりすぎてしまうので、この辺りで止めておきますが、ルソーが言わんとしていることも理解はできますね。

贅沢は必要悪なのでしょうか?

皆さんも一度考えてみてください。

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