【弁証法とは?】具体例を交えてわかりやすく解説

2021/10/30

哲学

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弁証法という言葉は知っているけど、うまく説明することができますか? イマイチその意味が理解できない人に向けて、わかりやすく解説をしてみたいと思います。

つねに物事をよく観察し、その中にある矛盾を見つけ出して、さらなる成長を試みる前向きな考え方が弁証法で、一人ひとりの成長と社会の成長に注目する、現代を生きる私たちの思考のベースとなる考えでした。


ヘーゲルが唱えた弁証法とは? 


弁証法とは以下のように考えるとわかりやすいです。

・真理に到達するための方法の一つ

・対立する二つの事柄のいずれかを採用するのではなく、第三の道を作り出すこと

・ふたつの選択肢のいずれかを選ぶのではなく、べつの新しい答えを作り出すこと



具体的に以下のような要素で弁証法は成り立っています。

テーゼ:最初のお題 現状で絶対に正しいとされていること

アンチテーゼ:テーゼに矛盾・否定する考えやアイデア

ジンテーゼ:テーゼとアンチテーゼから導かれた、完成形


アウフヘーベン:テーゼとアンチテーゼを総合しジンテーゼへ向かうこと


どんなものごとも矛盾という爆弾を抱えている」というのが弁証法の出発点です。

最初のお題(テーゼ)にある矛盾を突いた考え(アンチテーゼ)を用意し、その二つを融合させ新たな考え(ジンテーゼ)を生みだすこと。この一連の思考法を弁証法と呼びます。

この方法(弁証法)を繰り返して個人も人間社会も「らせん状」に成長していく。なぜ「らせん状」なのかというと、なにごとも一直線に成長していくことは不可能で、あれこれ考えて変化していく中で過去のアイデアを取り入れたり、また一時的に後退したりを繰り返しながら、人も社会も成長していくからです。「3歩あるいて2歩さがる」に近いでしょうか。

もうこれ以上アンチテーゼが出てこないところまでこの作業を繰り返すと歴史の完成ということになります(たぶん訪れないでしょうが)。

矛盾する考え方を提示する方法の元祖といえばソクラテスを思い浮かべる人も多いはずです。ソクラテスの問答法との大きな違いは、弁証法では一つ一つに問いに対して一時的な回答(ジンテーゼ)を用意してくれていることでしょうか。さらにその回答に対して疑問を投げかけていく繰り返しが歴史を作っていくとした点です。ヘーゲルはそれを形としてまとめた最初の哲学者です。


弁証法の実際の例


どうやって国を治めたらいいか
、という例でわかりやすく説明してみましょう。


ある時代、一人の勇猛果敢な武将が国を統一しました。彼は武力に長け戦場では兵を率いて大活躍するのですが、平時の政治に関しては全くと言っていいほど適性がありません。

そこで、内政力が高い知識人に国を治めてもらったほうがいいのでは、という考えが国の中に起こってきます。

その二つを合わせて、武力に優れた人と内政力に優れた人、二人による統治はどうだろうか、という結論に至ります。


さて、この武闘派と文官の二人政治という理想形と思われる仕組みができました。

でも、武闘派が武力で文官を黙らせ意見を強める可能性があります。

そこで、武闘派と文官の意見を調整する役を決めて、その人に最終的な決定権を持たせることにします。


これで、武闘派、文官、調整役という3人での政治がはじまりましたが、いや、その調整役がどちらかの意見に傾くと、国の方針が極端な方向に向かってしまうことも考えられる。

だから、調整役は3人にして意見が対立した時には多数決で決めてもらうことにしよう。


こんな一連の流れによって、たまにうまくいったり、間違ったりしながら私たちの社会は前進してきたのです。これが「弁証法」による歴史の発展です。

同じことが個人でも、経験を通して行われているのです。


ヘーゲルってどんな人だった?

Hegel portrait by Schlesinger 1831  from Wikipedia

ドイツ観念論の代表的哲学者

1770年ドイツのシュトゥットガルトに生まれる。同世代のドイツにはベートーベン、ゲーテという優れた才能を持つ人たちがいました。フランス革命が1789年なので多感な学生時代に社会の激変を目の当たりにし、そのこともヘーゲルが哲学に身をささげた要因のひとつです。若い時から優秀で落ち着いた学者肌で、大学を出て新聞の編集をしたり教師をしながら論文の執筆をし、ハイデルベルク大学の哲学教授になります。のちに名門ベルリン大学の教授となり総長に抜擢されます。61歳でコレラが原因で死去。主な著書として「精神現象学」「大論理学」「エンチクロペディ」「法の哲学」があります。


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