理性と衝動、哲学と宗教、バランス感覚【アウグスティヌス】

ローマ帝国衰退期に活動し、中世のキリスト教哲学の基礎を作った人物で、カトリック教会などいくつかの宗派では聖人ですが、クリスチャンではない人にとってはなじみの薄い人物で、まして哲学者として紹介するのは意外に思われるかもしれません。

ですが、中世の哲学を語る際にはキリスト教の存在は無視できないものなので、哲学界においても彼は重要人物というわけです。※ちなみに私はクリスチャンではありません。

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アウグスティヌスの略歴

354年、当時ローマ帝国の管理下にあった北アフリカの小都市タガステに、熱心なキリスト教徒の母モニカと異教徒の父の間に生まれます。カルタゴに遊学しますが、まだ若かったため女性への関心は普通の青年同様に強く、同棲相手との間に子を作り、18歳で1児の父となります。

情欲で結ばれた関係だが、生まれたからには愛さずにはいられない、とのちに語っています。29歳でローマに赴き修辞学の教師となりますが、母に同棲相手との仲を引き裂かれ心を病み、ほかの女性との関係におぼれていきます。

32歳になった頃、ふとしたきっかけから使途書を手に取り回心のきっかけを掴みます。翌年ミラノで正式に洗礼を受け仲間たちと共同生活を開始し信仰の道へと入っていきました。

若いころは欲におぼれ放埓な日々を過ごし、一時は極端な思想のマニ教に惹かれ、キリスト教への関心が薄かったアウグスティヌスですが、愛する人との別れ、人や書物との出会いを通じて結果的にキリスト教に回心し、ひたすら信仰と知識にたよる厳格な信者になっていくのです。

生まれながらの聖人ではなく、堕落があったからこその「気づき」ということです。

アウグスティヌスは何をした?

自身の懺悔と回心の呼びかけ

まずは著書「告白」において自身が犯した罪と向き合いキリスト教への回心を赤裸々に描き、文学としても中世キリスト教哲学の基礎を形作ったことが挙げられます。これは彼と同じように、自分の心の悪い部分と向き合い苦しんでいる人へ向けたメッセージです。

人間だれしも油断をすると簡単に堕落してしまいます。聖職者である自分もかつては放埓な時期があったし盗みをしたこともある、でも誰にでも信仰をベースとした救いへの道は開かれていますよ、という悩める人へのメッセージがこの「告白」で、生まれながらの聖人の言葉よりも説得力があるのはうなずけます。

善と悪、内と外の関係

アウグスティヌスは悪や罪の存在と、その扱い方を詳しく知りたいと思っていました。マニ教に一時期関心を寄せたのもそのためです。その後、新プラトン主義に関心を移し、悪は善が欠如した状態だと定義づけを行います。性善説に近い考え方で、本来善で満たされているはずの存在に一部悪が入り込むことによって人は過ちを犯すのであって、外部の環境にその原因を探すことは間違っていて、その悪い部分の割合を減らすには、絶対的な力=神への信仰と知性とによって救われると考えました。

ということで、まずは自分という存在は善であるということをスタート地点とします。それが信仰ということになり、それをベースにして知識を獲得し、理性的な生活を送っていくことによって神に近づくのが、人間という存在だとしました。

それとは逆に哲学は、知識をベースに様々な事柄の検証を進めていき、最終的に知を超越した存在、目に見えない存在(形而上学)に行き当ってしまいます。哲学者はそこで初めて神や絶対的な力の存在に関心を寄せるか、もしくは真理として自身の体系を作り上げることになります。

このように、まずは信仰をベースとし知識の獲得を理性によって行い、救済の道を探るというのがアウグスティヌスのキリスト教で、学問としての神学の発展に大きく寄与した所以であります。

「終末論」の生みの親

終末論と聞くと世界の終わりだ!と勘違いしてしまいそうですが、それは違います。終末論とはいざ神と面と向かって対峙するとき、ということを意味します。では、それはいつ訪れるのか?

時間は流れ去るもので、自分にはコントロールしようがなく、常に自身の外側にあるものと考えがちですが、でもよく考えてみてください。なぜ過去が存在するのか。それは私たちが思い出すからです。

人間以外の動物には過去という概念はありません。常に現在があるのみです。このように、時間という概念を外側ではなく自分の内側に取り入れることによって、終末の時も自分がコントロールすることができ、世界全体の終末もまた、私たちがその考え方ひとつで変えることができますよ、という時間に対する新しい考え方を取り入れたのです。

常に過去の自分の過ちを見ながら生きるのか。今という時間を意識しながら信仰に生きるのか。それは自分が決めることができますよ、という意味になります。

まとめ:キリスト教と哲学の関係の基礎を作った

ということで、アウグスティヌスの生涯と実績をざっくりみてみました。

それまではすべて外側で起きていたと思っていたことを、自分の内側にもってくることによって、善である自分を信じることを信仰とし、理性と知性でコントロールしましょうという極めて厳格なものでした。自分の中の悪の部分に注目できたからこそ信仰という救いに出会えたアウグスティヌスならではのキリスト教との向き合い方、また神学の基礎を築いたということがわかりましたね。

この後、哲学とキリスト教の関係はトマス・アクィナスの登場まで目立った進展はありません。およそ900年間の空白期間があるということです。

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