ルソーの「社会契約論」をやさしく解説します【後編:自分の主人は誰?】

2021/09/26

ルソー

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前回は社会と国家の成り立ちについて説明をしました。

そして、とても強い力を持った専制政治に対して服従するしかないのか?というところまで話を進めてきました。

社会層や分業が、国民を鎖につないでいるという話もしましたね。

今回はその鎖を切って自由になるためにはどうすればいいのかについて、もう少し掘り下げて考えていきましょう。

ここではわかりやすく説明するために、本来の著作とはズレが生じるかもしれません。詳しく学びたい方は原本を読んでください。


父と子の例からもう一度国家というものを考える


家庭は国家を語るうえでよく例として出されます。

父は国家で子は臣民」というと、なんだか悪の帝国のようなキャッチフレーズ。


家庭内でのそれぞれの利益を考えてみましょう。

父にとっての利益は何かというと、家庭の存続と平和です。

お金を稼ぎ妻と仲良く過ごし、協力して子供を育てていく。

妻や子にとっての利益も、家庭の存続と平和です。

そのために妻は家事に精を出すし、子供はルールを守り勉強を頑張る。

父が利益を追い求めることは妻にとっても子供にとっても利益になります。

その逆も同じです。すなわち、

父の利益=妻と子の利益


もし、父の利益がギャンブルや女遊び、車や時計などの収集だったらどうでしょうか?

父が利益を追求すればするほど、妻と子は困窮していきます。

そのうち父は、妻は炊事洗濯をするだけの道具とみるようになり、子はただの厄介者になります。(なんだか私が育った環境のようだ)

こうなると、妻と子は家を出ていくという選択を考え始めるでしょう。


ここで肝心なのは、父と妻子の利益が一致している場合は家庭が機能している。

利益が一致していないと家庭はうまくいかなくなるということです。


これを国家というもので考えてみましょう。

王様にとっての利益が国民の幸せと平和であれば、

国民は各々決まりを守って仕事に精を出します。

これが、王様の利益が自身の快楽で、それしか追求しなくなると、国民の生活はどんどん苦しくなり、普通に生活することすら難しくなっていきます。


このように、国家を家庭とみなして考えることは可能なんです。


※なおここでの前提は当時の家父長制に基づいた話で、現代では父と妻子ではなく、親と子ということになります。


国家と家庭の大きな違い


国家と家庭は似ているというお話をしてきましたが、一つ大きく異なることがあります。

それは、成立する過程の違いです。

家庭は人間の自己保存の本能で形作られるものですが、国家は為政者と国民の間の約束によって成立します。

このように、

国と家庭は似ているので、よく説明に使われますが、似て非なるものなのです。


だから「王は父であり、臣民は子である!」と独裁者が偉そうに言うのは間違いなんです。

国民は為政者が生んだものではないのだから。


さらに付け加えると、為政者と国民はお互いに大人なので、関係性はおのずと約束という形でなければならず、それが法律となっていくということです。

ここまではご理解いただけたはずです。


約束が破られたときになにが起こるのか?


さて、国民が約束を守らないと何が起きるでしょうか?

警察機関が国民を拘束し罰を与えますよね。

では、国家が約束を守らない場合はどうなるでしょうか?


国家が成立した過程を考えると、国家すなわち為政者も罰を受ける必要があります。

では、実際に国民は為政者に対して罰を与えることは可能なのでしょうか?


為政者に対しても罰を与える法律が整っている現代ではなく、ルソーが生きた時代では王様は絶対的な力を持っていました。

誰も王やその家臣に罰を与えることができません。


お互いに約束を守ってこその国家です。

どちらかが約束を守らず、それに対しても罰がないのであれば、それはもはや国家ではありません。


約束を守らない国に対して、国民は何ができるのか?


国民にできることはあるのか?

それを考えるためには、ここまでに説明してきた国家の成立についてのことを当事者である国民が理解していることが前提です。

※(やみくもに武器を手に暴力に訴え、クーデターが成功しても、なぜ国が成立しているかということを知らないと、新しい国を作っていくことはできませんよね。)

話を戻して、国が約束を守らなくなった!

そのことに気が付けるだけでも、大きな一歩です。


そして、国民一人ひとりは意思をもっている、ということも忘れてはいけません

意志とはすなわち、自分の主人は誰なのかを常に考えることを意味します

自分の主人は、自分しかいません。

仮に自分の主人は国や王、夫や先生だと答える人がいるのなら、それは自分が奴隷だと認めていることになります。

(夫のことを主人と呼んでいる人は、今すぐやめましょう。男女平等社会を実現させたいのであれば…)

これがルソーが国民に対して期待していることなのです。

それぞれが、自分自身の主人となって、意思をもつこと。


ですがそれだけでは概念ではなく実際の力(軍や警察)を持っている国家と対等な立場で議論はできません。

なので、意思を持った国民が団結をし、大きな意志を形成させます。

これが、ルソーが言っていた「一般意思」というものです。


この考えが力を持ち始めた商工業者(ブルジョワジー)や一部国民の間にも広がっていき、フランス革命へと進んでいくわけですねー


まとめ:最終的には一人ひとりの意志の力が重要に


さて、2回にわたって「社会契約論」の中身に触れてきました。

前回の最初に書いたことを覚えていますか?


国と国民はお互いに対等な関係で約束をし、それぞれに義務を果たすべき。

国民は団結し意見をまとめて、権力側とちゃんと向き合いましょう。


これが社会契約論の序盤でルソーが語っていることです。

他には法律や立法者の要件、政府の役割、国家体制の維持などについて書かれている極めて真面目で熱い書物です。


その中でも今回ご紹介した第1章の内容がとても重要で、フランス革命に至る一つのきっかけになっと言われています。その所以があなたにもわかったと思います。


国家や社会の奴隷になっている。

もしかしたら現代を生きる私たちも同じかもしれません。

いや、むしろもっと巧妙にコントロールされて、知らず知らずのうちに主人を見失い、奴隷になっているかもしれませんね。


自分がつながれている鎖が見えるようになりましょう!

これもルソーが伝えたかった大切なことです。

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