ついつい人の顔色をうかがってしまう
相手の時間や都合を優先させてしまう
そんな「よく言えば気遣い、悪く言うと自分がない」
それが私でした。
そこから少し抜け出せたので、今の心境をまとめてみました。
似たような境遇の人の助けになればと思います。
変えるきっかけを与えてくれた出来事
職場で上司の命令を断ることができた
私の以前の職場は肉体労働の職場で、一歩間違えれば命に係わるような作業を強いられることがありました。
「私にはできません」と勇気を出して一度言うことができて、それで吹っ切れました。
とても勇気がいたし声も震えたし、上司も明らかに怒っていましたが関係ありません。
一番大事なのは自分の命と自分の意見。
極端な例ですが、きっかけをくれたひどい職場に今は感謝しています。
自分の命と時間を大事にして、無駄なことにそれらを奪われないように、それが自分の人生を生きるということだから。
結婚生活をやめたから
結婚によって得られるものは多いと思います。
でも、元々のスタートがそれぞれ自立したものでなければ、それはただ相手に合わせる、すなわち相手がしてほしいと思っているだろうことを推測して試してみるだけの日々になってしまいます。
自分の意志でも、ましてや相手が望むことでもない、相手がたぶん望んでいるだろうことにお互い注力し、それが違っていた場合(ほとんど違っていると思いますが)結婚生活は破綻します。
あくまで私のケースです。
本当に自分自身を生きているのか、問い直した結果、私は結婚生活をやめました。
時々寂しく辛くなることもありますが、充実感の方が強いので何とか生きていけそうです。
テレビを見なくなった
テレビをやめた記事でも言及しましたが、テレビの視聴をやめると自分で考え自分で決めるように自然となっていきます。
洗脳とまではいきませんが、テレビの情報を知らず知らずのうちに鵜呑みにしている自分がいました。
「いや、私はいつも批判的にメディアと向き合っている」という人がいるかもしれませんが、それがメディアの戦略で、客観的で冷静な視点ではなく、何事にも否定的で批判的になるように仕向けて、さらなる攻撃対象を提供し続ける、そういった人間の本能に訴えてくるのがメディアだというのが、私が出した結論です。
自分の頭で考える習慣を、テレビをやめて取り戻せました。
他人という不確定なものに合わせてた過去の自分
相手の顔色を見ないように気を付けるようにした
他人ではなく、自分と対話するように考え方を変えました。
いくら人の顔色を見て正解を探しても、結局それはわからない。
相手も気分で変わるし、こちらの読みなんて当たるはずがない。
だったら、唯一確かなものとして、自分がしたいことをするまでです。
怒っているんじゃないかと、心配するとそれが態度に出てしまい結局それが相手を怒らせる原因なったりします。(笑)
私の父は子供をペット扱いする人で、人格を認めず、私は常に顔色を窺っていました。それが影響していると思います。女性は平気なのですが、今でも同性である男性、特に威圧してくる人、冷静に話ができない人はとても苦手です。
今は私も大人になったので、一緒に食事をしたりもできるようになりましたが、決して好きな人間ではありません。
誘いや勧めを断り自分で考えて決め行動する
人は親切心から他人にいろいろ勧めてきます。
最も多いのはおすそ分けやお土産の類。
あげるのも、もらうのも、お礼やお返しをしなければいけないと思うことも、すべてやめました。
自分が食べるものや身の回りに置くものは自分で選んで買いますし、大人ならそれができます。
とても小さなことに思われますが、私はこういう小さなことから自分で選び取る癖をつけるようにしました。
ちなみに、相手はそうしたいからしたのであって、見返りを求めていません。
自分が大切な人に何かをするときも、見返りは求めていませんもんね。
恩とか、借りなどは考えず、自分ができる範囲で大切な人に与え、時には受け取るだけ、そんなシンプルな方法で人と付き合うことにしました。
情報を集めて感情ではなく頭で考える
自分で決めるとなると、まっさらな状態からスタートすることになります。
人に決めてもらうことをやめるということですから、判断基準としての情報が必要です。
私は本にその情報を求めるようにしています。
実際、自分の身の回りに師と呼べるような人はいませんでした。
本は結局他人が書いたものなので、それに従うことは人に判断をゆだねているように見えますが、感情が排除された情報としてとらえ、自分で一度持ち帰って整理し取捨選択できるので大きな違いがあります。
まとめ:自分で決めたことを最優先にする
仮に誰かが決めたことを最優先にするのであれば、それは洗脳かもしれません。
自分の人生は自分で決めていい、という当たり前のことが私にはわかっていませんでした。
そして、自分で決めると失敗することもありますが、人の意見に従って失敗するよりも、大切な経験を得られるはずです。
私は最近大きな決断をしました。
失敗に終わるかもしれないし、うまくいくかもしれませんが、いずれにしても自分で決めたことなので、必死さが違います。
人や流行に決断をゆだねると、必死で生きられないことに気が付きました。
ということで、自分の経験談から、自分自身を生きるために変えたことを書いてみました。
少しでもお役に立てたのならうれしいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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