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2019年 試したこと、感じたこと1

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しばらく更新していませんでした。昨年、夏の2か月間ほどは釣りに行かなかったり、あれやこれや、得意の思索にふける時間が多かったのです。 私はどうしても物事に没頭することができません。どんなことにでも、人間がすることには負の側面というか行動の理由付けや論理的な説明が困難な部分が存在します。人間として現代人としてごく普通に大人しく生きることですら、私には説明が難しく、そうなってくると死んでしまった方がいいと思うことすらあるのです。(本気で思いますが、病んだ精神が発するものではなく、あくまでも理性的に、です。だから私は元気なのでご心配なく。) さて、話を釣りに戻さなくてはいけません。私もあなたと同じように情報を仕入れるために誰かのブログを見たりします。皆さんものすごく行動的かつ研究熱心で、大いに釣りを楽しみ、いかに最大限の結果を得るかを期して釣りに向き合っています。とても純粋だと思います。私はこれを羨ましいと感じます。けっして皮肉ではありません。いや、やや皮肉ですね。 感じてはいけない罪悪感や空虚感、自分の行動の理由付けをどうしても行ってしまうので、私は心の底から釣りを楽しめません。具体的に言うと、例えば車を使った遠出などでは、たかだか一人の人間の楽しみのために、排気ガスを排出し空気を汚したり、その地域の人たちの共有財産である川に釣り糸や毛ばりを残し、加えてよそ者が遊ぶ権利がはたしてあるのかと、ほかにも雑多なことが頭をよぎります。こんなことを考えながら竿を振るのは、楽しくはありません。お分かりだと思いますが...。   そんなこと考えないようにすればいいじゃないかと、本も他人も言うのですが、どうしても考えてしまう性質をもって生まれた一部の人間には無理なことで、我々が意識的に呼吸をおしまいにすることが不可能なように、そう、まるで呼吸するかの如く己を客観的かつ倫理観に照らし合わせてみてしまうのです。 あぁ、生きるのがつらい、でも生きていかないといけない。そのつらさが経済的困窮のような直接的かつ生存にかかわることではなく、社会と自分がマッチしていないという、まるで陸に揚げられた魚のように呼吸が苦しく、本来いるべき場所ではないところでバタバタもがいているだけだから、つらいのです。

同じポイントで粘るべきか否か

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  毛ばりは何回流せばいいの? 本来の川漁師から発展したスタイルという意味で考えると、テンカラはスピードとプレゼンテーションに重きを置いた釣り方です。餌をつかわず、仕掛けの交換を行わず、振っては釣りを繰り返しながらテンポよく渓流を上っていく...そんな釣り方でしょう。 でも、大きな落ち込みや淵を目の当たりにするとそうも言っていられず、気が付けば1時間もそこで竿を振っていた...という経験がある人もいるでしょう。私もその一人です。 ではこう考えてみましょう。 水深が30センチくらいで底が見える、緩やかな流れがありそこに毛ばりを落としたとします。1投目。魚が近寄ってきますが食いつかずどこかに行ってしまいました。2投目。今度は魚の姿は見えません。3投目。試しにちょっと流す位置を変えてみますが今度もまったく魚は出てこない。 こうなるともうこの場所は見切って次に行くはずです。一度魚が飛び出してきたのに食わずに帰って行った、ということはこの場所はもう荒れてしまったと考えていいでしょう。 話を深い淵に戻します。水中の見えないところで上記と同じことが起きていると考えてください。もしあなたがテンカラのスタイル(仕掛けを変えないスタイル)で釣りをしているのなら、もうその場所にとどまる意味はありません。何度毛ばりを流しても、それが同じ流し方であれば魚は出てきません。 逆にフライの人は同じ場所で長時間粘ります。なぜなら試さなければいけないことがたくさんあるからです。毛ばりを変えたり、流す深さを変えたり、いろいろ試して答えを見つけます。そのために多種の仕掛けを持ち歩き、じっくり時間を使って釣りをします。中には岩に座ってコーヒーをすすりながら、あれやこれや考え込んでいるフライマンもいます。 湖のルアーマンも同じです。すべきことがいっぱいあります。ルアーの色、形、泳層、いろいろ試さないといけません。その中でその日有利な条件を探りながら釣りをするわけです。 テンカラのアドバンテージはそのスピードです。そして見えない水中に夢を見ない現実的な釣り方です。あなたがもし同じ場所で長時間粘り、水中にロマンを求める釣りをしたいのならフライ、ルアー、鯉釣りなどにシフトした方が良いでしょう。 結論として「普通は3投、アタリがあるなら5投」といったところです。サクサク行きまし