2020/06/02

2019年 試したこと、感じたこと1

 しばらく更新していませんでした。昨年、夏の2か月間ほどは釣りに行かなかったり、あれやこれや、得意の思索にふける時間が多かったのです。

 私はどうしても物事に没頭することができません。どんなことにでも、人間がすることには負の側面というか行動の理由付けや論理的な説明が困難な部分が存在します。人間として現代人としてごく普通に大人しく生きることですら、私には説明が難しく、そうなってくると死んでしまった方がいいと思うことすらあるのです。(本気で思いますが、病んだ精神が発するものではなく、あくまでも理性的に、です。だから私は元気なのでご心配なく。)

 さて、話を釣りに戻さなくてはいけません。私もあなたと同じように情報を仕入れるために誰かのブログを見たりします。皆さんものすごく行動的かつ研究熱心で、大いに釣りを楽しみ、いかに最大限の結果を得るかを期して釣りに向き合っています。とても純粋だと思います。私はこれを羨ましいと感じます。けっして皮肉ではありません。

 感じてはいけない罪悪感や空虚感、自分の行動の理由付けをどうしても行ってしまうので、私は心の底から釣りを楽しめません。具体的に言うと、例えば車を使った遠出などでは、たかだか一人の人間の楽しみのために、排気ガスを排出し空気を汚したり、その地域の人たちの共有財産である川に釣り糸や毛ばりを残し、加えてよそ者が遊ぶ権利がはたしてあるのかと、ほかにも雑多なことが頭をよぎります。こんなことを考えながら竿を振るのは、楽しくはありません。お分かりだと思いますが...。
 
 そんなこと考えないようにすればいいじゃないかと、本も他人も言うのですが、どうしても考えてしまう性質をもって生まれた一部の人間には無理なことで、我々が意識的に呼吸をおしまいにすることが不可能なように、そう、まるで呼吸するかの如く己を客観的かつ倫理観に照らし合わせてみてしまうのです。

 あぁ、生きるのがつらい、でも生きていかないといけない。そのつらさが経済的困窮のような直接的かつ生存にかかわることではなく、社会と自分がマッチしていないという、まるで陸に揚げられた魚のように呼吸が苦しく、本来いるべき場所ではないところでバタバタもがいているだけだから、つらいのです。